【70年前のマル秘資料が語る】パチンコ「全面禁止」も検討されていた!?警察が“あえて禁止しなかった理由”とは?

こんにちは!今回は、昭和のパチンコに関する“マル秘資料”から見えてくる、**「もしパチンコが禁止されていたら…」**という衝撃の事実について紹介します。

今でこそ規制に囲まれながらも細く長く生き延びているパチンコ業界。
でも、実は1954年(昭和29年)当時、警察は「パチンコ全面禁止」も真剣に検討していたんです。


■ 舞台は昭和29年――パチンコが日本中にあふれていた時代

1954年、まだ戦後の復興期。
日本全国には5万軒を超えるパチンコ店が立ち並び、今とは比べ物にならないくらい、パチンコが“庶民の娯楽”として根付いていました。

この頃ブームを引き起こしたのが、「連発式パチンコ機」と呼ばれるハイペースで玉が出る機種。
それまでの“1発ずつ手で打つ”スタイルから一転、どんどん玉が出るようになったことで短時間で大勝ち・大負けのスピード感が出てきました。


■ 問題視されたのは「射幸心」と「風俗への影響」

警察庁が出したマル秘文書には、連発式パチンコについてこう記されています。

「技術介入の余地がなく、短時間に高額を失いやすく、著しく射幸心をあおり、善良な風俗を害するおそれがある」

つまり、「これってもはや賭博と変わらなくない?」という懸念が高まっていたわけです。
このため、警察は「パチンコにどう対応すべきか?」を本気で議論し、次のような選択肢を提示しました。


■ 警察庁が検討していた5つの規制案

① パチンコ遊技の全面禁止
景品(賞品)を全面的に禁止
③ 発射速度の速い機種は禁止、景品は1品100円以下、換金防止策を徹底
④ オール15台の禁止、景品制限と換金対策
⑤ 現状維持。ただし景品の換金防止だけに注力

この中で最終的に選ばれたのは、③番の「速度制限+景品制限」
つまり、パチンコそのものは残すけど、「ハマりすぎ・ギャンブル化しすぎ」は抑えようという落とし所です。


■ なぜ「全面禁止」は選ばれなかったのか?

面白いのはここ。
当時、世論や有識者の中にも「パチンコは廃止すべき」という声はありました。
それでも警察はあえて全面禁止にはしませんでした。

その理由が、マル秘文書にこう記されているんです。

「敗戦による精神的・経済的ダメージから回復する中で、パチンコは人々のリクリエーションとなり、明日への生活意欲を奮い立たせる一助となった」

「人間に射幸心がある限り、これを健全に満たす手段を奪ってはいけない」

…なんか、ちょっとグッときませんか?


■ 「ギャンブルか娯楽か」の綱引きは、昔からずっとあった

この記事が伝えてくれているのは、「パチンコはグレーゾーンを生き抜いてきた存在」だということ。
ギャンブルと娯楽の間で揺れながらも、世の中の空気や人々のニーズを反映しながら、今日まで残っているんですね。


■ 現代にも通じる“パチンコの立ち位置”

今も「パチンコは必要か?」「依存症対策は?」といった議論は尽きません。
でも、昭和の頃も同じように「パチンコをどう扱うか」で悩んでいたんだと思うと、歴史って面白いなと感じます。

一歩間違えば、今のパチンコは存在しなかったかもしれない
あの時、警察が「全面禁止」を選んでいたら、昭和・平成・令和を通じたホール文化もなかったかも…。


■ まとめ:娯楽と規制のせめぎ合いは、今も昔も変わらない

今回紹介した「昭和29年のマル秘文書」は、パチンコという遊技が単なる“ギャンブル”ではなく、戦後の社会において“人々の癒し”でもあったことを教えてくれます。

そして、警察や行政も、ただ取り締まるだけじゃなく、社会とのバランスを考えて判断していたという点も注目ポイント。

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